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伊藤 進 (1974年博士課程単位取得退学、北海道教育大学名誉教授)
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字を書くのが苦手だ。苦痛だといったほうがいいかもしれない。書いているとすぐに手が疲れる。原稿用紙半分ほども書かないうちに、ああいやだ、もう書きたくないとなってしまうのである。 時おり、何の苦もなくすらすら書いている人を見かける。じつにうらやましい。私には、筆圧をあまりかけずに軽快に書くということができない。そういうスキルを身につけてこなかったのである。書くとなると、どうしても筆圧を強くして書いてしまう。だから、疲れる。速度も上がらない。苦手は努力と工夫で克服しなければと常々思ってはいるものの、書くことに関しては、気づいたときにはすでに頑固な習慣が修正を拒むまでになっていた。
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学部時代、「ゲシュタルト心理学」という授業があった。私は学部は千葉大で過ごしたのだが、当時、千葉大の心理はゲシュタルト心理学の最後の牙城だなんていわれていた。半世紀以上も前のことである。認知心理学が急速に台頭してきて、ゲシュタルト心理学はもう背景に退きつつあったころだ。 担当はその分野で著名な盛永四郎教授だった。しかし、先生は重い病気を患っていて、授業には助手――現在の「助教」――がやってきた。そして先生の講義ノートを読み上げるのである。ひたすら読み上げるのである。学生はそれをノートする。ひたすらノートするのである。これを毎回毎回、続けるのだ。地獄だった。 さいわい、こんな苦行を強いられる授業は他にはなかったが、やがて卒論の季節が近づくと、書く量を想像しただけで腱鞘炎になりそうだった。自然、出来上がりは短いものになった。アインシュタインの相対性理論の論文だって短いものだった、長さと重要性の間に相関はない――などとうそぶいてみたところで、所詮、負け犬の遠吠えだった。
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学生生活を続けていれば、字を書く苦痛からは逃れられない。社会に出ても字を書かずにいられるわけではないが、そう書かないですむ職種もあるだろう。そう思いながらも、学生生活をだらだらと続けてしまった。学部4年の後、北大の大学院に進み6年、学術振興会研究員の1年をはさんで、大学院研究生を1年……。まさに牛のよだれである。 自分が何者なのかをまだ決めてしまいたくない、贅沢さえしなければ仕事に就かなくても何とか生きていける、責任だってないに等しく気楽だ……。学生の身分は貧しいながらも居心地がよく、字を書く苦痛くらいで手放すのは惜しかった。 30歳を迎えたころ、さすがにそうもいっていられなくなり、大学教員の職に就いた。すでにつぶしの効かなくなっていた身には、ほぼ選択の余地のない道だった。書字の苦しみには、輪をかけて耐えなければならなくなった。 だが、ちょうどそのころ、私をくびきから解き放つべく、技術者たちが日夜、努力と工夫を重ねていた――。